私は割と、古めの言葉使いをするのですが、
この詩を読んだときは「しみるなあ・・・・」一択でした(笑)
あなたのこどもは、あなたの子ではありません
絶えることなく続こうとする生命、それが息子や娘になったのです
こどもはあなたを通過する存在であり、あなたから生じた存在ではありません
こどもはあなたと共にいますが、あなたに属しているわけではありません
こどもに愛を与えることはあっても、あなたの考えをおしつけてはなりません
こどもにはこどもの考えがあるからです
こどもの体を家に住まわせることはあっても、こどもの魂までをそうしてはなりません
こどもの魂は未来という家に住むからです
その家をあなたは訪れることはできません。たとえ夢の中であっても
あなたがこどものようになろうとすることはあっても、こどもをあなたのようになるよう強いてはなりません
命は過去にさかのぼることも、留まることもできないからです
あなたは弓です。そこからあなたのこどもが生きた弓となって、解き放たれるのです
神の射手は無限の道の刀にある的を見
神の力を使ってあなたをしならせるのです
その矢が勢いよく遠くまで飛んで行くように
あなたが射手の手によってしなることを喜びとしなさい
なぜなら、神は飛んでいく矢を愛しているだけではなく
そこに留まっている弓をも愛しているからです。
~カリール・ジブラン『預言者』より「こどもについて」~
今でこそ、大分変ってきていますが、昔はバレエの世界もがっちりと子弟制度で固まっており、それで苦しい思いをした人も沢山いたのではないでしょうか。
早ければ3,4歳の子供のころから、思春期を過ぎる10代後半まで、長ければ20代まで同じ先生につく、というのは中々ない状況だと思います。
教える側にも、愛情も情もたっぷりあると、親子関係にも似た揉め事も起きます。
また、教える側の立場に立てば、愛情が持てないと教え続けられないものです。
自分自身が教えだすとき、子供達を縛る事だけはするまいと思っていました。
20年が経ち、まあまあな弓の役目を果たせたんではないかな、と思うケースもあれば、ポンコツ、へっぽこの弓だったなあ、とどこまでも落ち込んでいくケースもあります。若かった、余裕がなかった、あれが精いっぱいだった、と言い訳をしたくないと、本当に地の果てまで落ち込めます。
それでも、子供達にとって良き弓でありたい、という気持ちを持ち続けていられるうちはバレエを教え続けたいと思っている私に、この詩は本当にしみました。