2012年10月

と言ってる自分は・・・

前回、前々回とずいぶん偉そうな事を書きましたが(笑)、じゃあ素晴らしい子供時代を過ごしたか、というとそうでもなく、過去にしでかした事を思い出すと今でも赤面します。

 

子供時代、私は決して器用になんでもこなせる子供ではなく、妄想や思い込みに身体や能力がついていかず、しょっちゅうとっ散らかっていました。ですから、何かをきちんと出来るようになるには時間がかかる子でした。幸いなことに、私の周りにいた大人達は子供だと言って甘やかす事をしない人達が多く、一貫して、やって当たり前、出来て当たり前、出来ない事は出来るようになるまでやって当たり前という態度でした。

まあ、はっきり言って、こちらが右も左もわからずうろうろしていても、これはこうやってやるんだよ、と優しくを教えてくれる人は皆無だったのです(笑) 教えてくれたとしても、手順だけで、それを出来るようにするのは自分。出来ても、出来て当然ですからほめてももらえません。教えてもらうという発想がそもそも無く、先生や先輩の行動や言葉のはしはしから自分で学ぶというのが当たり前でした。

 

そんな子供時代を過ごしていますから、まあ、可愛げのない10代でして・・・ 人に頼るとか甘えるといった発想は無く、甘えたくても方法が分からないという(笑)  バレエは独学ではどうしても行き詰まり、今のように雑誌や教本がない時代です。どんなに練習しても、なにをやればこれ以上になるのか、全くの五里霧中でずいぶん拗ねた期間を過ごしました。口だけはいっちょまえで、夢や希望も見えず、青春ではなく灰色な日々でしたね。

 

世をすねるきっかけもバレエでしたが、立ち直るきっかけもバレエでした。自分がバレエが好きなこと、それ以外の事はバレエ以上には熱中出来ない事がすとんと自分の中に落ちて(あきらめたともいうのでしょうか??)、バレエの先生になる!と決めた途端、子供時代の経験がものすごく生きてきました。10代の頃は、ずいぶんと周りの大人を恨んだものですが、彼らは夢を持った時に具体的に夢に向かって進む力を私にたたきこんでくれていたのです。

灰色の時代があってこその今の私ですけど、10代というのは自分のために仕える時間が沢山あります。拗ねてないで、周りの大人の言うことを聞いてやっておけばよかったと思う事はあります。例えば読書や映画。歴史、特に世界史はもっとちゃんとやっておけばよかったですね。

 

私自身はほめられた高校時代を過ごした訳ではありませんが、子供時代はその人の基礎を作ります。そして10代はその先の人生を歩いていく為の能力の基盤を作ります。やり直しのきかないたった一回の人生のチャンスです。喜んだり、楽しんだり、苦しんだり泣いたりしながら、しっかりと自分の足で歩いていってほしいと願っています。

目標は具体的に

目標をもってこそ練習は意味を持つ、と前の日記に書きました。

その為には目標を具体化させる必要があります。

例えば、綺麗に踊りたい、上手になりたい、では、具体的に何をすればいいのか、あまりにも漠然としています。

自分にとって「綺麗な踊り」とはどういう踊りなのか、考えだすと膨大です。簡単な所から始めれば、甲は伸びていた方がいいのか、膝はどうか、脚はどのくらいのターン・アウトを望むのか、上体はどう見せたいか、等々の身体の問題から始まり、踊りとしてどう見せたいか、たとえば優雅に踊りたいか、元気に踊りたいか、音楽的に踊りたいか等々と言った踊りとしてのクオリティーの問題まで含まれてきます。

 

これらを一気に解決することは出来ません。一つ一つ、具体的に取り組んでいく必要があります。

バレエが難しいのは、これらすべての問題が必ず連動してしまうことです。身体に一か所問題があれば、それは全身に影響します。クオリティーは精神的な豊かさをいかに身体の動きに伝えれるかが大きく影響します。動きにクオリティーを持たせられなければ、バレエには見えません。その為、ひとつの問題に取り組みつつ、常に全体にも取り組まなければならないのです。一か所の問題が解決されたとしても、全身の動きと連動させれなければ変わったように見えないのです。

 

そう考えると、すさまじく大変な事をやっている訳です。でも、必ず上達出来るのもバレエです。何年も何年もかかる道ですが、目標を見失わず、努力を続ける事で、どんな人でもそれなりに踊れるようになるのもバレエのすごいところだと思います。

まずは自分の出来る簡単なところから。そこを探求していく中でおのずと次の課題も見えてきます。

何より、「こう踊りたい!」と言った具体的なイメージを持つことです。そして、そのイメージを構成している要因を一つ一つ見つけては身につけていくことが大事です。

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